慶大生から届いたメール
秋の気配も漂いはじめた9月20日(2011年)、慶応大の湘南藤沢校に通う中村くんという学生からEメールが来た。24日の土曜日、江ノ島海岸に仲間を集めて砂の城をつくりたいのだが、経験がないので、つくり方を教えてもらえないかというのだ。急な話ではあるが、たまたまその日は空いていたので、「現地に行ってもいいですよ」と返事をすると、「ぜひ、お願いしたい」ということになった。一人で行こうかとも思ったが、やはり誰かいたほうが心強い。来シーズンから「江ノ島あたりで砂の城をつくる会」の副会長をお願いしている幸山義昭さんに声をかけると、「初秋の浜辺でビールを飲むのもいいですね」と快諾してくれた。
中村くんとはメールをやりとりしながら、築城場所のこと、人数のこと、必要な道具のことなどを詰めていった。当初は10人くらいといっていたが、広く声をかけたので20人近く集まるかもしれないという。20人! これは大ごとだ! 道具のこと、城のデザインのことなど、あれこれ思いをめぐらす。
必要な道具が揃っていない!
当日は曇の予報だったが、からりと晴れた。秋分を過ぎ、日差しは弱まっているが、動けば汗が噴き出すくらいの気温である。
待ち合わせは片瀬江ノ島駅前で10時。ずいぶん早いと思ったが、地元の学生も多いようなので大丈夫だろうと自転車ででかける。10時着の電車にそれらしき集団はみつからず、次の電車にもいない。少々心配になってきた頃、一人の青年が「笠井さんですか?」と声をかけてきた。聞けば、まだ2人しか来ていないという。とりあえず駅前で荷物を開いて、彼らの持って来た道具をチェック。金尺が(曲がっていないので、私たちは曲尺と書かずにこの字を用いる)2本しか手に入らなかったとかで、プラスチックのナイフを買ってきたという。ひと目見て「これではダメだ!」と思った。たまたまこちらも、多人数になった場合に備えて用意しておいた金尺の包みを、自宅の玄関先に置き忘れてきたことに気付き、海岸で待ち合わせることにして急ぎ自宅へとって返す。
海岸では、30分ほど遅れて着いた幸山副会長が当惑顔で立っていた。「誰もいないから間違ったかと思ったよ」「ごめんなさ〜い!」。いやはや、申し訳ないことで…。
結局、11時の時点で海岸に集まったのは、我々2人と学生が3人。「おいおい、大丈夫か?」
そうこうしているうち、また3人ほどやってきて、総勢8人。10人以上は集まりそうもないので、事前に考えていた大小ふたつの城を城壁でつなぐプランは中止。いつものようなプランに変更した。
完成度よりも築城技術の伝授を重視
いよいよ砂山をつくりはじめる。若い連中が6人もいるのだから、どんどん大きくなるかと思ったが、どうも思わしくない。大きなスコップ(関西ではシャベルと呼ぶ)を扱った経験がないらしく、庭で花壇をつくっているようなチマチマした動きなのだ。たまりかねた幸山副会長が、「もっとガンガンいかなきゃダメだよ」とお手本を見せる。そこから、ようやく捗りはじめた。
積み上げ、踏み固め、また積み上げる。中村くんに「土羽(どは)打ち」を教えると、スコップを振りかざし、猛然と叩き始めた。その激しい勢いに驚いた周辺から、「うっぷんが溜まっているみたいだ」「親に恨みがあるんじゃないか」と声が飛ぶ。そうとしか思えないような勢いだった。
山の頂上を平らにし、海の水平線で基壇の水平をとる。笠井は一同を波打ち際に導き、バケツに詰める砂の選び方を教えはじめた。これを誤ると城の上部が崩落するので、手を抜くことは許されないのだ。
用意してきたバケツや鉢、カップなどで型をとり、笠井と幸山が上部を削って見せる。くり抜きスプーンでアーチ状の入口や窓をつくると、「ほう、なるほど」と声が上がった。たしかにこの効果は劇的で、砂の塊りが、突然、建造物らしい表情を見せはじめる。
「ここから下は君たちが…」とバトンを渡す。「え〜っ」という者もあるが、今日は完成度よりもノウハウの伝授が主眼。どんどんまかせていくべきだろう。
正面階段づくりの手前まできたところで、時間は午後1時。昼食はどうするかという話になった。ファストフードにでも…ということになっていたのだが、城の見張りも必要なので、半数は浜に残り、半数がマックやコンビニで買出しをしてくることに。作業は一時休憩となり、笠井と幸山は当然のように缶ビールのプルトップをパッカーンと引き開ける。
「あらら、もう」と20歳前後の若者たち。ま、君らには、まだわからんだろう。大人はおいしい酒を飲むために生きているんだよ。人生、コレも飽きるし、アレも飽きるが、酒だけは飽きることがないのだから。
完成前に流れ込んできた海水
昼食後は各人に作業を割り振り、小さな塔や裏階段、壁面の窓づくりなどを経験してもらう。たどたどしいところもあるが、若いだけに学習能力が高く、時間とともに完成度は高まっていった。
本年8月6日の築城レポートにも書いたが、今年の夏の江ノ島海岸は、汐の干満が例年とかなり違うように思える。正午前に大きく引かず、午後の早いうちからひたひた寄せてくる。今日も2時過ぎから城の足元に迫ってきた。
「堤防つくれ〜!」と若い衆に声をかける。堤防づくりは体力が要るので、若い連中が頼りだ。城を半円形に囲む堤防ができて、まずは胸を撫で下ろす。
ここから、面倒な胸壁づくりや細部の加工に取り組み、時間とともに完成度が高まっていく。だが、堤防の一部を超えた波が流れ込むのと、堀の底から湧き上がってくる海水があり、城の周囲に水溜りができてしまった。「なあに、堀に囲まれた水城だってあるんだから」と幸山副会長が言い放つ。「でも、水面のアクが汚いよな〜」。
今日は「バブル退治マイスター」の称号を持つアクとり名人・齊藤真澄がいない。笠井・幸山が率先してアクを掬い、何人かも協力して、どうにかきれいにすることができた。「どうにか…」ではあるが。
いよいよ最後の仕上げである。30センチ金尺を用いた周辺の地ならし整備、乾いた白砂を風でまぶす笠井極意の「時代がけ」などを施して、ついに城は完成した。ベテラン会員がつくる城の美しさは望むべくもないが、初心者の手になる作品としては、まずまずの出来といっていいだろう。通りがかりの人たちや、「海の家」の解体作業に従事していた職人さんたちが、「すごいものをつくりましたね」とほめてくれる。何よりの勲章だ。
突然の倒壊にシャッターチャンスを逃す
4時になったかならないかの時間だが、日が傾きはじめた。やはり、秋分を過ぎれば秋であることを感じる。城を取り囲んで大波の到来を待つが、なかなか来ない。これも今年の潮汐の特徴といえそうだ。
少々待ちくたびれたところで、堤防の一部を切って波を入れる。勢いよく水が流れ込んで下部が崩れはじめた。いよいよ主塔の倒壊が見られるかとカメラを構える。だが、そこからが長かった。ぐずぐずと崩れてはいるのだが、すっくと立った主塔が揺るがない。思うに、今日の砂は水分を多く含んでいたので、乾燥する過程で土台がしっかり固まったのだろう。
しかし、クライマックスは突然おとずれた。何の前ぶれもなく主塔は前のめりに倒れ、ばしゃんと水しぶきを上げた。あっけない幕切れだった。その瞬間にシャッターを押せた者はいなかったが、ひとりが携帯で動画像を撮っており、それだけが貴重な記録となった。
かくして築城プロジェクトはつつがなく終了し、駅前で解散。残った若者4人と笠井は、境川沿いの商店街にある「清光園」でささやかな打ち上げを行なった。この店は閉店が7時30分と早いため、いつもは敬遠しているのだが、今日は4時過ぎに浜辺を引き上げたことからゆっくり過ごすことができ、話は大いにはずんだのだった。
Text:N.Kasai
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