今年の城

砂の城 2011年8月6日(土)のレポート

 今年は7月早々に梅雨が明け、即日“猛暑襲来”となった。3月11日の大震災と原発事故により節電を余儀なくされた関東地方は、どこもかしこも冷房が控えめになり、街は暑さにあえいでいた。だが、月末になると天候が不安定になり、思わぬ涼しい日もあって、人々はひと息ついたのだった。そんななか、我ら「江ノ城会」は8月6日(土曜)を築城日に定めていたため、「曇りは歓迎だが雨は困る」と、複雑な思いを胸に空を見上げていたのだった。
 当日、空は晴れていた。日ざしもかなり強い。日焼けを覚悟して江ノ島の西浜へと向かう。集合は12時だが、会長の笠井は11時過ぎには到着していた。というのは、ひと月ほど前に某出版社から「砂の城の制作工程について取材したい」という申し入れがあり、早めに会って打ち合わせをしようということになっていたのだ。例によって、スコップを波打ち際に立てて待つが、誰も来ない。暑い! のどが渇く! まだ来ない! ビールを飲むしかないだろう!
 そうこうしているうち、駅の方向から歩いて来た見知らぬ中年の男性が「砂の城の方ですか?」と声をかけてきた。「あ〜、来たな」と思った。いや、某出版社と間違えたわけではない。某出版社の担当者が若い女性であることはわかっている。
 実はもうひとつの、後日談ならぬ前日談があったのだ。4月半ばのことだったか、朝日新聞の都内版に折り込まれている「定年時代」というタブロイド紙の記者から取材を受け、言いたい放題しゃべったことが「夏の江ノ島 大人の砂遊び」という記事になり、7月下旬に掲載されたのだ。それを読んだ人からのメールなどもあり、何人かの飛び入り参加があるだろうと予想していた次第。
 その男性はひとりではなかった。奥さんと若い娘さん夫婦が少し遅れてやって来た。挨拶などしているうちに、肝っ玉イラストレーター浜野先生、踊るイラストレーターPATA先生が友人を伴って到着。さらに、幸山特別会員、複雑家庭の三男トシモトが以前にも参加した二人のモテキ青年(ミキサー山田&イッサイ綿貫)を連れてくるなどして、一挙に賑やかになった。その間に、某出版社(以下G社)の女性編集者UAさんとカメラマンが「ひどい渋滞で…」と汗を拭き拭き現れ、ようやく陣容は整ったのである。
 今年、会長笠井は「四角い城を造る!」と決めていた。ここ何年か円形のコロッセウム的な城が続いていたので、目先を変えてみたいと思ったのだ。そこで、いつもより入念な完成予想図を持参し、綿密な(というほどでもないか…)打ち合わせを行ったのち、やおら作業に取りかかった。
 いちばん疲れる土台つくりと踏み固め作業は、思いのほかはかどった。トシモト社中の3名が若さを発揮したのと、飛び入り一家の息子さん(以下N君)が大活躍してくれたのだ。
 大きくなった山をスコップで大胆に切り崩し、全体を四角くする。大小バケツやコップで塔をかたどり、笠井・幸山が上部から削り出していく。この工程は例年通りだ。最上部が少し弱く、グラついているので力が入らず、歪んだ形になってしまったのは残念。しかし何とか持ちこたえてくれたので、中間部分から下部へと移っていく。
 今年は、作業途中でG社のUAさんから「皆さん、よけてもらえますか〜」と声がかかり、しばしば中断する。カメラマンが各工程を撮影するためだ。UAさんの話では、家族で楽しめる遊びや工作の本を企画しているらしい。だとすれば、確かに砂の城づくりはぴったりの遊びではある。
 さて、前面の城門と大階段は、例によって幸山会員が担当。丁寧な階段削り出し作業に飛び入り一家は興味深深の様子だ。なかでもN君は手元をじっと見つめ、技術の習得に熱心だった。
 この段階でメンバーは左右の側面や背面に散り、思い思いに削り出し作業を開始した。土台が大きかったためか、1段目と2段目の屋上部分がのっぺりした印象を与える。そこで、胸壁をつくって立体的にしようと幸山会員が提案した。この作業は手間がかかるのと、手先の器用さや根気のよさが求められる。大丈夫か? 大丈夫だ! なぜなら、少し遅れてやってきた頼もしい女性がいるからだ。その名も「胸壁の仕事師・安井友香」。ご記憶だろうか? 2007年の「ノンサンミッシェル」築城工事において胸壁づくりにウデの冴えを見せ、「胸壁の仕事師」の異名をとったのが安井である。安井は、やおら作業にとりかかり、黙々と胸壁を仕上げていく。それを見て、PATA、浜野らイラスト系のプロが加わり、ゆっくりと、しかし着実に、みごとな胸壁ができあがっていった。
 もうひとつ誤算があった。位置決めである。11時に笠井が到着したとき、潮は引きつつあるように見え、乾いた砂浜にくっきりと満潮時の濡れ跡がついていた。その線のあたりが適地であろうと考え築城したのだが、思ったより引きは小さく、午後の早いうちから波が寄せてくるようになった。「やばい! 完成前に流されるかも」。そんなことまで考えていたのだが、そこから少しも近づいてこない。満ちるでもなく、引くでもなく、同じあたりで寄せては返しを繰り返しているだけなのだ。結局、夕方になってもその状態で、ついに崩落を目にすることができなかったのである。
 さて、完成した城だが、なかなかの出来栄えで、歴代の名作のひとつに数えられるのではないかというのが大方の評価だった。全体が角張っているためにきちんとまとまった印象で、背面も凝ったつくりになっている。そして、やはり胸壁がすばらしい。胸壁が階段と並んでデザイン上の大きなポイントになることが、あらためて認識された。
 ところで、今年はおまけがある。G社UAさんのリクエストにより、「誰でもできる小さなお城」をつくって、その工程も撮影したいというのだ。トシモト社中に声をかけると気軽に応じてくれ、3人でつくり始めた。簡単なスケッチは笠井があらかじめ用意しておいたので、それを基に、ものの20分ほどで完成させてしまう。「社中もウデを上げたなあ」と一同大いに感心したのであった。
 例年通り、「スゴ過ぎる〜!」「写真を撮ってもいいですか?」といったギャラリーに愛想よくこたえながら、余韻にひたることしばし。波はこないと見切りをつけ、撤収の準備にかかったのだった。
 あの蕎麦屋がつぶれてから、打ち上げの店さがしには苦労している。焼肉屋は高いし、商店街の店は閉店が早い。やむを得ず、駅前の「ねこん家」という、カフェというか、和洋折衷の飲み屋というか、ま、正体不明の店のいちばん奥、板張りのスペースに上がり込んだ。
 実は、ほぼひと月前の7月9日、笠井・幸山・PATA・齊藤真澄の4名は、ここ江ノ島で大きな砂の城をつくっていた。S社という出版社が海岸の「海の家」を借り切って、「一生忘れられないBBQ大会」というイベントを開いたのだが、そのアトラクションのひとつとして「砂の城づくり」が選ばれ、「江ノ城会」として協力していたのだ(詳細は近々このサイトにアップする予定)。その日の内輪の打ち上げを行なったのが、この「ねこん家」のまったく同じ小上がり席だったのだ。
 今宵の打ち上げには、仕事があって完成直後にやって来たもっこすデザイナー村上祥子会員と、写真の打ち合わせを終えたG社のUAさんも加わり、「今日の城はなかなかだったね」「来年もがんばろう」などと大いに盛り上がった。
S出版社のイベントへの参加、朝日新聞「定年時代」での記事掲載、G社の取材・撮影と、いろいろなことがあった今夏だった。こうした一連の出来事が、我が「江ノ城会」の新たな飛躍・発展へとつながることを期待しつつ、楽しい宴は、夜が更けるまで続いたのだった。

砂の城


砂の城ムービー(1.5MB 撮影:PATA)
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先頭に笠井会長、左後ろに幸山会員と浜野先生。右の3人と浜野先生の左隣(若い女性)は飛び入りのN氏ご一家。左前列に座っている男子3人がトシモト社中(手前から綿貫・山田・長井)。その後方左手にセカンドサイド系の安井さん(縞シャツ)とリャンさん。最後列はPATA先生(メガネ)とお友だちのピーさん。

Text:N.Kasai

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