島の若者に築城技術を伝授

 初期からの会員である「ラーメン屋の知久」は、店を息子に任せ、(自称)フードコンサルタントという怪しげな仕事をしている。どういう訳か、近年は宮古島に橋頭保を築き、島の人たちをたぶらかしているらしい。そんな知久から連絡が入り、「まちおこし」のイベントや観光コースの“にぎやかし”として砂の城づくりを提案したいのだが、口で説明してもピンとこないようなので、実際に築城するとともに、つくり方の基本を指導して欲しいという。会長・笠井は10年ほど前に「日本全県宿泊」を達成し、さらに「全県複数回宿泊(2回以上)」もほぼ達成していたが、沖縄県だけは1度しか訪ねていなかったことから、「これはチャンスだ」とスケジュールを調整。2015年11月18日、羽田を飛び立ったのだった。
 知久が暗躍しているのは、宮古島の本島ではなく、北西8キロの海上に浮かぶ伊良部島。ダイビングポイントに恵まれた美しい島として知られている。11月も後半だというのに夏のような暑さで、皆、短パン・Tシャツ姿で歩いていた。その日は宮古島本島の観光名所を知久に案内してもらい、夕刻、全長3,540m(海上道路を含めれば6,500m)という長大な伊良部大橋を渡って、知久が宿所としているホテルで荷をほどいた。

サラサラだが濡れたら粘り強い砂

 翌19日が築城の日。午前中はホテルの庭で海を眺めてのんびり過ごし、昼過ぎ、近くの「渡口(とぐち)の浜」に出る。真っ白な砂浜が800mも続くという美しいビーチだ。砂の粒が非常に細かく、指の間からサラサラこぼれてしまうほど。しかし、水に濡れると粘り気が出て、築城には適していると思われた。
砂の城02 やはり設計プランはあったほうがいいだろうと、昨年、江の島で築城した「箱型の城」の完成予想図を持参した。もとより、この通りにできるなどとは思っていない。この島では人が時間通りに集まることなどあり得ないと聞いていたので、場所を決めたり、打ち上げられた海藻を取り除いたりしながら海を眺めていたが、やはり30分を過ぎても誰も来ない。たまりかねたように知久がバケツを持って波打ち際に向かった。この浜の砂は、あまりにもサラサラで、掘っても掘っても湿り気がない。波打ち際から濡れた砂を運ぶしかないのだ。10杯も運ぶと、早くも息があがってしまった。その頃、ようやく若い衆がぽつりぽつりと姿を現わし始めたので、力仕事は彼らにまかせ、指導する側にまわる。人数はどんどん増え、そのパワーで大きな山ができあがった。
 皆で土台を踏み固め、大バケツ・小バケツ・コップなどを使って型どりのテクニックを指導する。最上部を削り出す作業にかかった頃には、人数も10人ほどになり、「なるほど、こうやるのか」と感心しきり。ひと通り手本を示したところで、どんどん作業に参加してもらった。

各自が思い思いの城をつくり始める

 大勢ででっかい土台をつくったことと、地元の100均で大きめのバケツを複数買い揃えたことから、今回の城は非常に丈が高くなった。正面の階段も、初代“階段職人”を自認する知久が腕を振るい、なかなか雄大なものに仕上がっていく。
 そんな作業の最中に、何人かがスピンアウトして、思い思いに小さな城をつくり始めた。早くも基本技術を習得して、細部にこだわりを見せている者もいる。それはそれで大いに結構なことだと歓迎するが、中には、実物大の和式便器と、とぐろを巻いたウ?コまでつくり込むボーイズまで現れ、「小学生か!」とあきれたが、ま、砂遊びをめいっぱい楽しんでくれたのなら、それはそれで意味のあることではあるだろう。
 完成した城はスケール感があり、真っ白なので、とても美しい。ただ、あまりに白過ぎて、写真に撮ると、いまひとつ迫力に欠ける。全体が明るいので、陰影がくっきりせず、白くのっぺりしたように見えてしまうのだ。肉眼で見ればとても優雅なのに、ちょっぴり残念な気がした。

2日目には大勢の子どもたちが参加

 中1日をおいた11月21日、同じ「渡口の浜」で2度目の築城をすることになった。浜に出てみると、一昨日つくった城がほぼ原形をとどめている。メインの城だけではなく、スピンアウトしたボーイズのつくった小城の多くも残っているではないか。おろかな“蹴り”を入れたりしない島人(しまびと)の優しい心と、乾いても崩落しない白い砂の粘り強さにちょいと感動した。
 さて、この日は土曜日なので、家族連れや子どもたちも大勢参加するという事前情報。正午に開始と通達しておいたのに、13時まで誰も来ないのは、ま、この島のお約束だろう。しかし、その後は次々とやって来て、20人近くにもなった。うれしかったのは小・中学生が多かったこと。彼らに城づくりの基礎技術を教え込んでおけば、その記憶はいつか必ずよみがえり、自分たちの子どもに手本を見せることによって、末永く継承されていくにちがいないからだ。
 今回の城は、一昨日の城よりも「完成予想図」に近くなり、バランスのとれた形になった。8割がたできた頃には、あちらこちらで小さな城づくりが始まった。皆、なかなかおぼえがよく、それなりに形になっている。特に子どもたちは、我々がつくってきた城の形にとらわれず、自由奔放な造形に取り組み、面白いものがいくつもできあがった。
 メインの城が完成後、笠井と知久は、小さな城づくりの現場を回って、個別に指導を行なった。基本的なつくり方をマスターして、「これは面白い。はまってしまいそうだ」という人も次々にでてきて、この先、島で砂の城づくりが広まっていくにちがいないという手ごたえが得られた。このことが今回の最大の成果であることは間違いないだろう。
 笠井は、この日の最終便(19時55分)で東京に帰ることになっていたので、名残は惜しいが、まだ大勢の島人が作業している砂浜を後にして、ホテルへと向かったのだった。

 

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砂の城

        

 

Text:N.Kasai

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