円筒、円錐、角柱などの集合体である西洋の城に比べ、反りのある屋根が複雑に入り組んだ日本の城はむずかしい。昨年(04年)は建設中に中層部が崩落するという憂き目に会ってしまった。今年はその教訓を活かし、とにもかくにも無事故で完成させようと決意した。
8月20日12時、ひと足早く浜に出た笠井は、例のごとくスコップを砂に突き立てて一同の到着を待つ。今年はことのほか日差しが強く、風もない。したがって、暑い! ついついビールに手が伸びる。例年よりも潮の干満が大きく、波打ち際がひどく遠い。だが、老練な笠井はだまされることなく、満潮時のラインを見極めて位置決めを行った。
まもなく幸山特別会員が登場。続いて初参加のイラストレーター山崎隆史氏が後輩のイラストレーター男女2名を伴って到着。とりあえず基礎づくりを開始する。若手がいることから山が大きくなり、水をかけながら踏み固めたので、しっかりした基礎になった。
そうこうするうちに三々五々メンバーがやってきて、笠井が持参した図をもとに検討。怪僧吉田が砂山に大まかな線を引き、古参会員がざっくりと削り出していく。昨年、寄せ砂をして失敗したことから、今年は屋根を含めすべてを一体として削り出すことにした。大まかに形ができたところで全員が作業に加わり、各部が整っていく。唄うイラストレーター・パタが欠席のため、正面の城門は怪僧と村上が担当。若手は後方と側面に張り出した御殿の制作現場に配置された。
制作に熱中しているうち、はるか後方にあった海水が、意外な速さで近づいて来ていた。ようやく石垣を掘り込み、ブラシで「時代がけ」をしている最中に、早くも波が押し寄せてきて、城の下部を洗い始める。「おっ、堀ができたぞ」などと笑っているうちにも、下部はどんどん崩れはじめていた。あわてて全員で記念写真! 途中で波が来たため、城のきちんとした完成写真を残せなかったのは残念だった。あと1m上に造ればよかったと悔やまれるが、その分、みごとな崩落シーンが早い時間に見られたのも確かである。
すべてが海にもどったのを見届け、一同は例年のごとく、江ノ島駅前の蕎麦屋で反省会。「正面から見るよりも、側面からのほうが美しいのは何故か」というあたりに議論が集中した。結論的には「各階の天井高を詰め、上層部を圧縮したプロポーションにすべきではないか」ということになり、来年もまた、日本の城にチャレンジすることを固く誓ったのだった。
今年の参加者(写真後列左から)市尾(環境デザイン)、村上(酔いどれデザイナー)、庵屋敷(電力関係の偉い人)、岡本(イラストレーター)、前田(葬祭場のマドンナ)、竹内(女不動産屋)、山口(イラストレーター)、山本(近所の娘)、永瀬(元スーパー秘書)、(以下前列左から)怪僧吉田、イラスト山崎、特別会員幸山、近所の主婦チヨノ、会長笠井。
Text:N.Kasai
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