猛暑と台風で8月下旬の築城に
なんと6月29日に関東甲信が梅雨明け。観測史上最速だという。7月に入ると35度を超える猛暑日が続き、都心で39度という史上最高も記録するほどだった。さらに、台風が次々とやってきて、8月前半の築城は厳しい状況になっていた。会長・笠井の都合もあって、やむを得ず、8月も終わりに近い25日(土曜)に築城することとなった。ところが、数日前に南方洋上で生まれた台風20号が接近してきて、「あわや中止か!」と思われたが、わすかに西へ逸れてくれたおかげで(西日本で災害に遭われた方、ゴメンナサイ)、青空の下で築城できることになった。
準備に手間取った笠井が現地に到着したのは12時ちょうど。そこではラーメン屋の知久が、いまや遅しと待ち構えていた。1年の3分の2は沖縄県の宮古島で暗躍している不良老人の知久だが、今回は東京にいるとのことで5年ぶりに参加できたのだ。とはいえ、知久と笠井は2015年の11月と16年の4月、宮古の美しい砂浜で、現地の若者や子どもたちと築城イベントを行っている(2015年イベント・2016年イベント)。
まもなく、トシモト社中のトシモトとミキサー山田、パタ先生と、イラスト仲間の新倉サチヨさんがやってきて、昼食など食べていると、幸山副会長がテントを担いで現れた。知久と笠井が決めておいた築城場所の隣にテントを張り、本日のベースとする。
トシモトと山田に土台造りをがんばってもらい、老人と新参の新倉さんは水運び。砂山に水をかけながら、全員で踏み固めていく。そんなとき、缶ビールをグビグビ飲みながら、ハードボイルドにキメて登場したのがトシモトの妻のタカヨちゃん。「もう呑んでらア」とトシモトは苦笑い。これで予想されるメンバーが全員揃った。トシモト社中のイッサイ綿貫は、テルマエ造りに独自のイメージを持っているので期待していたのだが、“永久脱毛のために不参加”と聞いて一同のけぞる。
テルマエに自信たっぷり、ミキサー山田
今年、笠井が描いてきた概観図は非常にシンプルなものだった。「これ、いつかのと同じでしょう。手抜きだ、手抜きだ」と知久が騒ぐが、そんなことはない。似ているところはあるにしても、図を比べてみれば違いがわかるはず。ま、いずれにしても図を参照するのは最初だけ。すぐに、皆、勝手につくり始めるので、あってもなくてもいいようなものなのだが…。
タワーが形になったところで、正面の階段は知久に任せる。階段職人を自負するだけあって、さすがに仕事はていねいだ。右側面とそれに連なる後方は、トシモト、タカヨちゃんと、パタ先生、新倉さんが担当。「綿貫が来ないから、テルマエつくってくれる?」とミキサー山田に打診すると、「当然でしょう」と不敵に言い放つ山田。近年、トシモト社中は細かい細工にウデを上げており、そんな自負が言わせるのだろう。
各人が自分の担当に集中して仕事を進めていると、いつの間にか波が近づいてきていた。笠井と知久が位置決めを検討したとき、このところ、慎重になり過ぎて波で崩れないことが多いので、少し前に出そうということになった。だが、台風直後で海が荒れ、高波が寄せているのを見誤ったようだ。トシモトがスコップを振るって防波堤をつくり始める。「少し急ごう」と声をかけ、多少粗くなるのは覚悟のうえで、つくり込んでいく。
左側面のテルマエは、山田を中心に新倉さんやトシモト夫婦が手伝って、大きく横に張り出す複雑な形となっていった。なんと3つもトンネルが開けられ、向こうが見えるという凝りよう。期せずして今回の見せ場となった。
あっけなく倒れたメインタワー
防波堤が効果を上げたこともあり、波が到達する直前に一応の完成をみた。思い思いに写真を撮ったりしているところに、小柄だが身体つきのしっかりした外人が、日本人の奥さんと小さな女の子を連れて現れた。
実は前日、知久から、宮古で知り合った外人が、鵠沼でブートキャンプを開いているので、仲間の外人を大勢連れて、城づくりに参加すると聞いていたのだ。「お〜、それは大歓迎だよ」と言ったが、実のところ、まったく信じていなかった。こういう場合、外人はその日の気分で勝手に行動し、日本人との約束など平気ですっぽかすものなのだ。長年の経験から笠井は、「約束しない、期待しない、信用しない」の3原則のもとに外人と付き合っている。「ま、ひとりでも見物にきただけマシなほうかナ」というのが正直なところだった。
とはいっても、カウアン・アンドレッティかという、F1レーサーみたいな名前のその外人は、なかなか感じの良いヤツで、家族と一緒でなかったら、打ち上げに誘いたいくらいではあったのだが…。
皆で集合写真を撮ったりしているうちに、時折打ち寄せる高波が城の土台を削り、海側の階段などは、早くも崩れはじめた。時計を見ると、まだ3時を過ぎたばかり。あと1m下げておけばよかったと、改めて悔やまれる。
テントをたたみ、ゴミをまとめ、撤収の準備をしているうちに、下半分が波にさらわれ、メインタワーも危うくなってきた。「倒壊の瞬間を取らなくては…」と思いつつ、ついつい片付けものなどに気を取られていると、突然、思いもかけぬ高波が襲来し、メインタワーはあっけなく倒れてしまった。残念! 今年も撮り損なった!なかなか思うようにはいかないものなのだ。
打ち上げは、今年も駅前の「ねこん家」。実は最近になってわかったのだが、この店の本当の名前は、「道楽や ねこん家(ねこんち)」というのだった。10年以上も通っていて、うかつなことではある。とはいえ、「なんじゃい、このヘンテコなネーミングは?」
まだ早い時間だったので、4人席が2つ空いており、奥の板の間ではなく、テーブル席での飲み会となった。築城参加者8人全員で乾杯。楽しい談笑は暗くなるまで続いたのだった。
砂の城ムービー(撮影:Pata)
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Text:N.Kasai Photo:Pata,Y.Kohyama
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