昨年(2003年)は記録的な冷夏で築城気分が盛り上がらず、実行はしたもののレポートさえ書かないていたらくとなってしまった。また、西洋風城郭のデザインがマンネリに陥り、技術的にも行き詰まったことから、意欲が減退したという面も否定できない。
今年は早くからの猛暑で海へ行きたくなったこともあり、「日本の城を造ろう!」と一念発起した。以前にも考えたことはあったのだが、あまりに難しそうで、とても我々の技術ではできないとあきらめていた。しかし、実際に造っているグループがあり、ネットを通じて写真が入手できたので、熟慮検討の結果、「この程度ならいけるかも…」と思えるようになり、あえて挑戦することにした。
笠井は地方出張の折などに各地に残る城を訪れており、松江城・小倉城・姫路城・広島城・弘前城などの写真を撮っていたので、それをもとにイメージを作り、怪僧吉田、歌うイラストレーターPATAにファクス。それぞれが腹案を持って、8月7日(土)、江ノ島海岸に集結した。当日の参加者は、上記3名の他に、特別会員・幸山義昭、酔いどれデザイナー村上祥子、元スーパーセクレタリー永瀬美由樹の6名。少数ながら研究意欲の高い中核メンバーが揃った。
12時頃よりそれぞれの考えを調整し、1時に作業開始。踏み固めた砂山の上に大バケツの濡れ砂で塔を建てた。高さが不足という意見が出て、同じ大バケツでその上にもう一層の塔を積み上げ、下層の周囲に寄せ砂をしたが、後にこれが悲劇を生む。例によって大バケツの塔の上に小ボックスで上階を造り、最上部から金属スケールで削っていく。例年なら会長笠井が削り出すことになっているが、今年は自信がないと告白して怪僧吉田に依頼。はからずも組織上層部の権力構造の変化を露呈することになった。
上層の形が整い、中層にかかった時に悲劇が起こった。寄せ砂を削って造った、切り妻屋根が次々と崩落。設計変更を余儀なくされる羽目となった。濡れ砂をバケツで固めた部分と、後から付け足した砂の固さに違いがあり、その境目から崩落が生じるのだ。結局、その場しのぎのごまかしを重ねることになり、中層部の形状は大いに損なわれた。
しかし、下層はまずまずの出来となり、特にPATAが担当した入口部分は、観衆が息をのむほどの完成度であった。さらに、石垣部分で技術上の一大発見があった。石垣をどう造るかについては複数案があり、笠井のスケールで線を掘り込む手法と、村上の型どりしていく手法が比較された。村上の手法は手間がかかるものの凹凸がしっかり出て、やや優れているかと思われた。しかし、怪僧吉田が準備してきた刷毛を用いて、笠井が得意の「時代がけ」をほどこしてみたところ、すばらしい効果が発揮され、どちらの手法でも大差のないことがわかった。結果、手間のかからないスケールによる彫り込みでいこうということになった次第である。
完成後、各方向からつぶさに検討してみると、やはり中層部が貧弱なため、バランスがよくなかった。ここをどうするかが今後の大きな課題であろう。しかしながら、初めての挑戦にしては一応満足できる完成度で、来年、再来年と研究を重ねていけば、必ずやすばらしい作品となるにちがいない。この成功により、参加会員のモチベーションは一気に高まり、夕暮れの浜で今後の精進を誓い合ったのだった。
終了後は、例年、江ノ島駅前の蕎麦屋で反省会が開かれるのだが、今年は意外な展開となった。東京ディズニーランドのT部長の別邸が築城現場のすぐ近くにあり、作業中にも何度か見に来てくれていたのだが、なんと全員を夕食に招待してくれたのだ。沖に沈み行く夕陽を一望するバルコニーで、冷たいビールを酌み交わしながら、一同は快い疲労と満足感に浸った。
Text:N.Kasai
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